専務手記

被災地・名取へ行ってきました。

2013.05.14

先週末の事ですが、東北・仙台に私用で訪れる機会があったので、

仕事の休みをもらい前日入りで宮城県名取市を訪れてきました。

 

私の住んでる霧島市と宮城県名取市は、空港を持つ市町村同士と言う事で、

災害防災協定を結んでいる間柄だそうです。

その為、両市の商工会同士も交流があり、今回私も地元の商工会青年部員さんに

無理を言ってお願いし、被災から2年が経った名取市を案内していただきました。

 

今回は写真を少し撮ってきているので、

皆様にもご紹介したいと思います。

 

 

 

まず、宮城の空の玄関口・宮城空港。

震災当日、マスコミの報道でもあった通り、

空の玄関口も被災しました。

 

 

3メートル以上が水に浸かったそうです。

 

 

名取市の中でも、特に被害が大きかった地域の一つ。「閖上地区」。

※ 門に水でユリと読みます。青年部さんに聞くと、伊達正宗公がお城からこの一帯を

  見渡した時に水門・水路・堀で豊な美しい土地だった為に作った漢字だそうです。

 

被災前はここに港町があり、商店街もあり、多くの方が生活をしている地域だったっそうです。

 

(写真の上部が震災前。下部が震災後。)

 

震災から2年が経過しましたが、今現在も空き地ばかりで住民の方々は戻れていません。

 

何もない更地から見える大きな瓦礫焼却施設。

焼却後の灰の保管場所が確保できていない為、

半分ぐらいしか稼働しない事もあるそうです。

 

ちなみに写真を撮影した場所は、漁港があった所で、

毎年夏になると、ここで夏祭りがあり、花火も上がり、

青年部も出店を出していたという思い出の場所だそうです。

 

 

 

被災後、そのままになっている建物もチラホラ。

 

自動販売機に、「願」、「希望」の文字。

折れた街灯も当時のまま。津波の凄さが想像できます。

 

小高い丘の上にお社があるのですが、

震災当日、ここの丘の上に民家の屋根部分が引っ掛かっていたそうです。

 

 

 

 

 

最近、テレビを見ていると、

震災関係のニュースは以前よりだいぶ少なくなってきていると思います。

あったとしても、原発関係がほとんどだと思います。

そのせいか、私個人も他の被災地域は復興が着々と進んでいると思って現地に入りました。

 

しかし現実は違いました。

被災された各々の土地では、今なお深刻な状況にありました。

 

閖上地区出身で、今現在は市内の離れた所で

仮設店舗で美容室を経営されている青年部さんの話を聞く事ができたのですが、

復興支援などの対応が遅れ、年月が1年、2年と過ぎていくと、

復興後は閖上に戻りたいと考えていた住民の方々も、

どんどん少なくなってきているそうです。

(以前は5千人ほどの希望者がいたそうですが、現在は2千人弱まで減ったそうです。)

仮設店舗の貸出期限も少なくなってきており、決断をする日も近づいてきているそうです。

 

町興しが大事な活動の一つである青年部員として、

何ともやりきれない気持ちになりました。

 

最後に、今回名取市を案内していただいた青年部員さんに

このようなお話をいただきました。

・・・必ず大地震は他の地区でも起こり、同じような悲劇が襲ってくると思います。

その時にどのように仲間を応援するかを考えておく必要があると思います。・・・

 

 

しっかりと考えて、準備をしていきたいものです。

 

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名前:中村 博人

役職:専務取締役  血液型:AB型

家族構成:妻・娘(H22.5生)・息子(H24.7生)

東京より鹿児島に戻り、平成20年に中村タクシーに入社。皆様の快適なタクシーであり続ける為、日々勉強中。地元商工会の青年部活動にも積極的に参加し、会社の為・地域の為・家族の為に頑張ってます!

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